7/6(火)放送のマツコの知らない世界にガールズバンド「SHOW―YA(ショーヤ)」寺田恵子さんが登場しました。
そこで「SHOW―YA(ショーヤ)」寺田恵子さんが一体どんな人物なのか気になり調べてみました。
みなさんも一緒に見ていきましょう。
「SHOW―YA(ショーヤ)」寺田恵子さんのプロフィール
生年月日:1963年7月27日
出身地:千葉県
活動:女性シンガーソングライター、ロックバンド『SHOW-YA(ショーヤ)』のボーカル
あだ名:姐さん
寺田恵子さんのバンドSHOW―YA(ショーヤ)って?過去の活動
ジャンル:ハードロック
活動期間:1981~1998年 2005年~
メンバー:中村美紀(キーボード)五十嵐美貴(ギター)角田美喜(ドラムス)仙波さとみ(ベース)
1980年代のバンドブームでライブやテレビ出演など精力的に行い、ガールズバンドの先駆け的な存在として活躍。
人気曲に「限界LOVER」「私は嵐」があります。
ただ、寺田さん自身は1981年に脱退されています。多忙から喉がつぶれてしまったり体調不良が続いてしまったそうです。
その後はボーカルが2度変わり、活動を続けていたもののほとんど目立った活動はないまま1998年に解散。
「SHOW―YA(ショーヤ)」解散後に寺田恵子さんはどんな活動していたのか
1998年にバンド自体が解散。
キーボードの中村美紀さんは作曲家として曲作り。
ギターの五十嵐美貴さんはBLIND PIGというバンドで音楽活動。
ドラムスの角田美喜さんはe-ha?というバンドで音楽活動。
ベースの仙波さとみさんは音楽活動の遍歴がないので音楽からは身を引いていたのかもしれません。
脱退後の寺田さんはというと実家に戻り、しばらく音楽とは無縁の生活をされていました。精神的なストレスもあり音楽を聴くのも嫌になっていたとのことです。
その間に普通の就職も考えていたそうですが、実際に他の仕事をしていたかは不明です。
大好きだったものが嫌いになるなんて、相当な多忙さだったことが伺えます。
SHO-YA(ショーヤ)再結成のきっかけ
音楽業界から離れて実家で生活していた寺田さんを音楽に引き戻したきっかけは、友人といっしょに行ったカラオケで無理やり「限界LOVER」を歌わされたこと。
そこで歌った際に自然に涙が流れ、自分がSHO-YA(ショーヤ)を好きだっだと再確認したそう。
彼女がどんなにSHO-YAが好きで、音楽が好きであったかが伝わってくるエピソードですね。
一時は音楽も嫌いになるまで追い詰められ、SHO-YAからも自ら離れていった寺田さんですが、離れたからこそ大切さに気付いたということもあるでしょう。
そこからの寺田さんは、元メンバーたちに一人ひとり頭を下げ、SHO-YAを再結成したいと頼み込んだそうです。
他のメンバーもそれそれの道を歩んで数年たっている訳ですから、説得に5年かかったのも無理もないかもしれません。
しかし、5年かかっても元のメンバーで一緒にやりたいという強い思いがなければ復活はありえませんでした。
また一緒にバンドをしたいと思えるメンバーが、寺田さんの情熱で再結成したのですから、SHO-YAの絆はさらに深くなったことでしょう。
寺田恵子さん現在の活動状況は?結婚はしてるの?
2005年、大復活祭にて念願のSHO-YA(ショーヤ)再結成。
毎年、ライブやイベントを主催し、ブランクを感じさせない活発な活動をされています。
そんな寺田恵子さん、2021,7月現在なんと57歳!
57歳でこんなにハードロックが似合う女性、かっこいいです。
YouTubeやTwitter、Facebookやブログなどもされており、もとの世代のファンだけでなく、寺田さんを知らない現在の若い人たちにも親しみやすい環境を提供しています。
プライベートでは結婚はされていないようで、ロックシンガー一筋のようです。
2014年6月に放送された「有吉反省会」で音楽活動ばかりして未婚であることを反省しています。
「SHOW―YA(ショーヤ)」寺田恵子さんのまとめ
いかがでしょうか。寺田さんの熱い情熱が伝わってきそうな遍歴ですね。
好きなものに夢中になって、57歳になっても第一線で活躍する寺田恵子さん。
本人も1度、音楽から離れているように、好きなこと=ずっと続けれるということではありませんしね。
それでも音楽の道に戻り、今でも現役で積極的に活動している。
寺田さんの歌唱力や外見の格好良さだけではなく、そんな生き方や精神的な強さがファンを引き付けるんだなと思いますね。
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